わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

十八、先祖供養と自(みずか)らの成仏のために

盆(ぼん)や彼岸(ひがん)などの際、創価学会員の皆さんは、どのようにして先祖供養をなさっていますか。
お盆のいわれについては『盂蘭盆(うらぼん)御書』に示されていますが、それによれば__神通(じんづう)第一の目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道(がきどう)に堕(お)ちて苦しんでいる亡(な)き母を救おうとして、神通力(じんつうりき)をもって食べ物や水を与えたが、食べ物は炎(ほのお)となって母を燃やし、さらに水は薪(たきぎ)に変じてますます炎を燃え上がらせた。自分の力では救えないことを覚った目連尊者は、仏の
「汝(なんじ)一人が力及(およ)ぶべからず。(中略)七月十五日に十方の聖僧をあつめて、百味を(飲)んじきをととのへて、母のく(苦)はす(救)くうべし」
との仰せにしたがい、母を餓鬼道から救うことができた__という教えから、世間でも盆の風習が起こったのです。
それゆえに、創価学会の戸田第二代会長は、
「よく世間では、ナスやキュウリに箸(はし)をさして飾ったりしますが、そんなことで先祖供養ができるわけはありません。聖僧を呼んで供養すべきであります。だが、聖僧といってもいません。真の聖僧は、日蓮正宗の御僧侶のみであります。ところが、こんなにおおぜい呼んで食べていただいたら、財布が下痢をしてしまう。そこで塔婆供養をするのです」(『戸田城聖全集』第二巻178ページ)
と言って、聖僧たる日蓮正宗の御僧侶に御経をあげてもらい、塔婆(とうば)供養をしなさい、と指導していました。
ところが、現在の創価学会は、僧侶は不要、塔婆も必要ない、ただ自分で題目さえ唱えていればよい、と言って憚(はばか)りません。これでは、自分の力で救おうとしてかえって母を大苦にあわせてしまった目連尊者のようですね。
この、塔婆供養についても、学会は、「塔婆供養など御書に載ってない。後世に邪宗にならって立てるようになったもの」とごまかしているようですが、とんでもないことです。御書にきちんと載っているのですよ。
『草木成仏口決(そうもくじょうぶつぐけつ)』には、
「我等衆生死する時塔婆を立て開眼(かいげん)供養するは、死の成仏にして草木成仏(そうもくじょうぶつ)なり」
と仰せられ、また、『中興入道(なかおきにゅうどう)御消息』には、塔婆を立てることによって、回向(えこう)される故人も願主も、共に霊山浄土(りょうぜんじょうど)に導かれるのみならず、塔婆を通り過ぎる風にあたっただけの畜類(ちくるい)すら大利益(だいりやく)を受けることが示されています。そして、「此より後々の御そとば(卒塔婆)にも法華経の題目を顕はし給へ」
と仰せられ、これからも題目を認(したた)めた塔婆(とうば)をもって追善供養をするように、と示されているのです。戸田会長も、
「(塔婆供養は)形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二(しきしんふに)の成仏、草木成仏の深い原理からきているのであります。塔婆供養の原理についていえば、人が死ぬと宇宙の生命に溶けこみます。色心不二の二法であるゆえに、この生命を塔婆という体を作って供養すれば、聞いた題目が生命に感じて業(ごう)が薄くなり、苦悩を少なくしうるのです。一個の肉体を塔婆として、これ自体が死人の肉体に変わり、自身の生命を強めることができます。この功徳は、一心法界(ほうかい)ですから、自分の身に帰るのであります。
生命論がわからなければ、この深い原理はなかなかわかりません」
(『戸田城聖全集』第二巻176ページ)
と、塔婆の功徳を説いていました。池田大作さんには「この深い原理」がわからなかった、ということなのでしょうね。
日蓮正宗から破門され、一介(いっかい)の異流義(いりゅうぎ)集団と成り下がった創価学会の信心では、先祖供養はおろか、自らの成仏も、絶対に叶いません。もうこれ以上、変貌(へんぼう)し続ける創価学会に人生を振り回されるのは終わりにして、大聖人の仰せを厳護(げんご)する富士大石寺に早く戻ってこられるよう、心よりお祈りしています。

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