わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

二十三、悪道(あくどう)へ誘(いざな)う ”御供養自慢(じまん)”

池田大作サンは昔から、「私は、宗門にこれだけの御供養をしてやった」ということを口にしていました。 たとえば、今は無き ”正本堂” をした後などは、「私共地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)は敢然(かんぜん)として、まず大聖人様の御遺命(ごゆいめい)である正本堂の建立をしました。誰がしましたか、途中で。創価学会じゃないですか。私がやったんです。そうでしょう?(中略) 大坊も創価学会の寄進です。大講堂もそうです。大化城(だいけじょう)もそうです。五重塔・御影堂・山門も、全部修復したのは私です。創価学会であります。(中略) 昔は二ヵ寺造ると大講頭といわれた。何百ヵ寺です、私は」 (昭和五十二年一月一日)などと言い、全(すべ)て自分の功績(こうせき)として声高々に自慢していたのです。
これでは、御供養をしてきた多くの皆さんが浮かばれないと思うのですが、それはさて置き、御供養をこのように自慢すること自体、”池田サンは、もとから信心がなかった”ということの証明に他(ほか)なりません。
本来の御供養の精神については、創価学会第二代会長・戸田城聖氏が次のように指導していましたので、学会員の皆さんは、よく噛(か)みしめて御覧ください。戸田二代会長いわく、
「御僧侶に対する供養は、私に対する真心(まごころ)を表わすものであり、御僧侶は、大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は純真なものでなくてはならない。」
(『戸田城聖全集』 「お布施をすることは、坊さんを喜ばすためにするのではない。それは、御供養をして、罪障(ざいしょう)を消していただくためにするのである。」 (同)
「私の言うことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽(つ)くすことは、あたりまえのことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。 (中略) それをしたからって、何もえらいのではないのです。」 (同)
いかがでしょう。 「御供養は、自分の罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)のためにさせていただくもの」であって、「自慢するようでは、信者の資格がない」と教えているのです。
この戸田二代会長の言葉を借りれば、御供養を名聞名利(みょうもんみょうり)の材料にしていた池田サンは、日蓮正宗に身を置いていた当時から、「信者の資格がなかった」__要するに、「信心がなかった」ということになりますね。
そうした信仰の歪(ゆが)みゆえに宗門から破門になったにも拘(かか)わらず、平成二十年九月三日の本部幹部会でも、池田サンは相変わらず次のように言っています。
「どれだけの供養したか。とってとってとりまくって、もうどれだけの供養したか。
(中略) 戸田先生は十七万坪ですよ。私は、百十七万坪への大拡大をしてあげたんです! (中略) 世界中に私ほど供養した人間いないだろ?ね。戸田先生、(中略) これは小ちゃいです。」
「それほど計(はか)り知れない大恩(だいおん)ある創価学会を、嫉妬(しっと)、恩を、恩を仇(あだ)で返したのが日顕宗。 煩悩(ぼんのう)宗」
なんと、池田サンは、師であるはずの戸田二代会長の功績を「小ちゃい」と見下してまで自画自賛(じがじさん)し、宗門への恨(うら)み節(ぶし)を連呼しているのです。
学会員の皆さんは聞きなれてマヒしているのでしょうが、こんな狂った指導者のもとにいれば、あなたも大聖人や戸田会長にお叱(しか)りを蒙(こうむ)りますよ。
御書にいわく、「名聞名利は今生のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだしなり。嗚呼(ああ)、恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし」__後生(ごしょう)の堕地獄(だじごく)を恐れるならば、早く脱会しましょう!

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